いろんな事が嫌になって失踪した…沖縄を離れて向かった先は東京!?
何気なく東京行きの航空券を買ったはいいがどこで何をしたいかわからなかった。
さ迷うように歩き続けた結果、秋葉原の街並みを見て回ることにした。
これはあてもなく東京に行ってきた私の失踪体験談である。
注意
この記事は私の失踪時の体験談となっていますが失踪による事件等に関与した内容ではありません。
この記事は失踪及び犯罪を助長する内容ではありません。また特定の人物に危害を加えるものではありません。
2018年3月19日(月)
その日始めて無断欠勤をした…家族にも何も言わずに…私は失踪したのだ。
午前3時
私は寝袋や着替えなどが入ったリュックと航空券などを入れた小さなショルダーバッグを肩にかけこっそりと家を出た。
歩いて向かった先は自宅から5㎞離れたバス停だ。
家の近くでバスを待っていたら見つかるかもしれない、見つかって連れ戻されたら逃げ出した意味がない。
別に家族から酷い仕打ちを受けたからとかではない。ただこのままの生活を続けても楽しい未来が見えなくなっただけだ…
しかし黙って家を抜け出したことは申し訳ないと思う。
更に人のいない夜道を歩いているとより不安な気持ちになる。
何度も引き返そうと考えたが今更帰ったところでどうなるというのだ。
夜更かししたまま会社に行き、普段からまともにこなせない仕事を寝不足の状態で作業して就業後は人付き合いが苦手なのに社内レクレーションの準備をしないといけない。
戻っても辛いなら進むしかない。
それにもう航空券も購入しているので今帰ったらそのお金まで無駄になる、不安な気持ちのままだが足を止めることはなかった。
だが辛いのは心だけじゃない。
運動不足の人間が大きな荷物を持って5㎞も歩くのは堪えた。
さすがに水分補給できないと問題があると思って自宅からペットボトルを持ってきていたが歩いている最中に中の水を全部飲み干してしまった。
出費は控えたいが水は仕方ない、後で買い直すことにしよう。
歩き始めて一時間以上が経った。
汗だくで、息は荒く、足もパンパンだ。だけど歩き続けてようやくバス停にたどり着いた!
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ここから那覇市までバスで向かう。
このときの時刻は4時45分。目的地の那覇市のバスターミナル行きは6時15分に来るので一時間半も時間がある。
近くにコンビニや24時間開いている飲食店などもあるが今回の失踪は予算があまりないので出費は極力抑えることにした。
仕方ないのでバス停にあるベンチに座り続けて待つことにした。
電話がかかってくるのが怖くてスマホは置いてきた。
外はまだ暗くて持ってきた本を読める状態でもない。
ただ座っているしかできないのだ。
歩き疲れたし、あまり寝てないので座ったままでも眠れたら楽だったが不安な気持ちが晴れないせいか寝るに寝れなかった。
それでも待てば時間は過ぎていく、空はだんだん明るくなり車も全然なかったが少しずつ交通量も増えていた。
周囲が朝になるにつれ移り変わっていく様子を感じながら時間は着実に進んでいた、そうして長らく待っていたバスがやってきた。
待ちに待ったバスに乗り那覇市へ向かう。
その後は那覇空港に行くつもりだ…
バスに乗っている間は疲れが出て頭が回らなくなって目を閉じた、そのままバスに揺られながら那覇市についた。
バスを降りた時には空はすっかり明るくなっていた。
このままモノレールに乗り換えて空港まで行ってもいいが飛行機の出発時刻は19:15分で今は8時前だ、いくらなんでも早すぎるのでどこかで時間を潰すことにした。
この時間だと開いている店も少ないので10時頃まで公園のベンチで座っていた。
始めは本を読んでいたが疲労に加えて朝食も食べていないので頭が働かない。
集中できなくなったら目を閉じたり、回りを見渡してボーっとしたりしていた。
スマホはないしお金もあまり使えないとなると時間を潰すのも一苦労だ。
嫌なことから逃げ出したのに今度はやることがなくて途方に暮れているなんて皮肉なものだが自分で招いた事態なのでこの日はこの退屈を受け入れることにした。
公園で退屈な時間を過ごし、周囲の店が開店してもやることは変わらなかった。
その後はモノレール小禄駅に隣接している那覇市のイオンにいた。
休憩スペースで本を読んだり仮眠したり、他のことといえば喉が渇いたらフードコートで水を飲んだり、食品コーナーで試食品がないか見て回ったりしていた。
ケーキ屋のアップルチェリーパイの試食品が美味しかったのは今でも覚えている…
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時間は潰れていく一方、私の心は晴れなかった。無断で出ていったことに後ろめたさを感じていた。
公衆電話から自宅に連絡しようか迷った。
親の声を聞いたら帰りたくなるかもしれない、それでは逃げ出した意味がない。
だが後ろめたさの方が勝り、恐る恐る受話器を取った。
激怒しているだろうか?それとも泣いているだろうか?そう考えたら手が震えたが自宅の番号を押し受話器を耳に当てた…そして数コールした後母の声が聞こえてきた。
予想に反して母は落ち着いた声をしていたが心配をかけていることには変わりない。
私はただ謝ることしかできなかった。
母は大丈夫だから戻ってきてと言うがまだ戻りたくはなかった。
迎えに行くから場所を教えてと言われても答えることはできず私はまた謝ってまた連絡するからと残して半ば強引に電話を切った…
正直なところ、迎えにきて欲しい気持ちはあった。だが帰りたくもない。
はっきり言って戻ろうがこのまま逃げ続けてようが迷惑だろう、なら私は逃げ続ける。
失踪して何か果すわけでもないが、何かをしたい。何もしない「逃げ」より自分で行動をする「逃げ」を選んだ。
このとき時刻は16時過ぎ、少し早いがじっとしていたら自宅に帰ってしまいそうなのでモノレールにのり那覇空港を目指した。
三十路手前の失踪者【1日目ー②】に続く……
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失踪中に読んでいた本です。
三十路手前の失踪者【ZERO(0)準備編】
※ここからは失踪前の準備と失踪した理由などを書いたおまけになります。
読むと不快になる恐れがございますのでご注意ください。
仕事ができない自分が嫌だった。
同じ事を何度もミスをするし新しいことを覚えるのも苦手で私が出来る業務は限られていた。
今の業務もそんなに好きではないし、別の業務も私の能力が低いので移ることもできない。
今の職は楽しくない、そもそも仕事が好きじゃないし職場に貢献できるわけでもない。
業務で貢献できない分、仕事終わりの付き合いだけは良くしようとした。
私はこういうのも苦手だがせめてそれくらいは頑張ろうと思った。
ボウリングをしたり飲み会をしたりなので決して悪いものではない、だけと社内の人と合わせるのがどうにも好きになれない。
気を悪くさせないために愛想良くはしているが心の底から楽しいとは感じられない。
出来ることなら仕事が終わったら一人になってゆっくりしていたいが、そんなこと言えるハズもない。
付き合いがいいと認知されると必然的に誘われることも多くなり、飲み会の幹事を任せられそうになった。
誘われたならまだなんとか行くが自分から誘う側になるなんてできるわけがない。
仮に不評だったら先輩や上司に怒られるだろう、逆に上手くいったとしたらまた私が幹事をすることになるだろう。
どちらも私にとっては酷だが断ることのできない私はこのままやらされるのだろう。
また、会社以外でも悩みがあった。
私の両親は家を新築したがっていた、家を建てるとなったら私もローンの支払いをしていくことになる。
マイホームは両親の望みだ、私も手伝いはしたいが月々の支払いが増えるとなると自由に使えるお金が減ってしまう。
残ったお金も会社の人との付き合いで減る機会が増えてきたので本当に自由に使えるお金なんて残らない。
お金も好きに使えない。仕事は上手く出来ないし、この先もずっと働いていく気なんてない。
やりがいを感じられないのでこの先もずっとこうなのかと思うと生きていることすら嫌になる。
「死にたい」何度独り言でそうつぶやいただろうか?気づいたら通勤中の車の中で毎日つぶやいていた。
だが本当に死ぬなんて出来ない、私が唯一出来ることといったら逃げることだけだ!!
今までも誰に反論したり逆らったり出来なくて他人に合わせて楽な方に逃げようとした。
それで本当に楽になった試しはないが今も逃げ出したくて仕方ない。
私は「失踪」と検索して失踪の仕方を調べた。
本来なら仕事もキッチリ退職した上である程度の資金を貯めておくのがいいのだが今はそんな時間もお金もない。
とにかく少しでもお金を作るために漫画や趣味で集めていたトレーディングカードを売ってお金を作り失踪する前日に航空券を買った。
沖縄にいたらすぐに見つかるかもしれないと思って東京行きの航空券を買った。
東京なんてまるで土地勘のないところだが都会の街並みが好きなので逃げ場くらい好きなところに行こうと思い東京行きにした。
航空券を手配し、失踪用の荷支度をした。
後は失踪宣言書を書くことだけだった。
いわゆる「探さないでください」と書いた置き手紙だが、これを残さないと警察が動く可能性がある。
自分の意思で失踪したことを記し、必ず帰ってくると強調した文章に日付と氏名を書くことで警察は事件性がないものだと判断して捜索を行わなくなる。
自分勝手な失踪なのに警察沙汰にまでする気はないので失踪宣言書を書き残した。
ペンを持つ手が重く感じて中々筆が進まない。だが普段から言いたいことを言えない生き方をしてきたのだから紙の上くらいちゃんと伝えようと思い書きだした。
私の我が儘で失踪すること、家族や会社の人達にごめんなさいと書いて家を出た……
この「逃げ」で何かを変えられるわけじゃないし、変わるために行動を起こせるような人間なら失踪なんて最初からしないとだろう。
だか私はそれでも逃げることしかできなかったのだ。
もうすぐ私は30歳になる、いい大人だ。
だけど私はいい大人にになれなかった。
この先、生きる希望がないと感じながらも現状を変えるための行動もできない…
そんな自分が嫌になって私は「三十路手前の失踪者」になったのだ。
三十路手前の失踪者【1日目】に続く……
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