体験談シリーズ【三十路手前の失踪者】完結編!東京から沖縄へ戻り私が始めたのは…
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注意
この記事は私の失踪時の体験談となっていますが失踪による事件等に関与した内容ではありません。
この記事は失踪及び犯罪を助長する内容ではありません。また特定の人物に危害を加えるものではありません。
前回の記事
空港についてから悩んでいた時間は意義のあるものではなかった。
戻ってきたならもう少しでも早く帰ってこんな私の身を案じている両親に顔を合わせた方がいい!
そう気づくまで悩み過ぎた気もする…元々そうお金も残っていなかったので遅かれ早かれこうなっていたのだが。
僅かに残ったお金でバスに乗り自宅へ向かう…
バスの中では項垂れるように座っていた。
後悔と気まずさが晴れぬ中自宅付近のバス亭まで進んでいく。
やがて降りるバス亭までたどりついた。
ここからは歩きだ、何度も帰っていいものかと悩んだが近所まで戻っておいて失踪を再開するのもどうかと思うので足は家路へと歩み出す。
家についた時にはとっくに夜で私の親も仕事から戻っていてもおかしくはなかった。
私は航空券と同じように大事にしまってあった家の鍵を取りだしてドアを開ける。
手は少し震えていたがゆっくりとドアを開けて…「ただいま」
父と母は怒るわけでも慌てる様子もなく出迎えてくれた。
だが心配していたのは本当で私のことを気にかけた。
私はここで初めて沖縄を離れ東京に行ってきたことを告げる。
県外から離れていたことも、そして東京にいたことも予想外だったようだ。
いままで接点もない土地だったので驚くのは無理もない。
そしてその驚き分心配していたのだと思う。
聞きたいことも多かったと思うが両親は今はゆっくり休んでと言ってくれてその日はあまり深入りしなかった。
その言葉に甘え今は休むことに、数日空けただけだが泊まる場所を気にすることなく落ち着いて休める場所があるのは嬉しいことだ。
ずっと歩き詰めで休まりきらなかったが家ならしっかり休むことができる。
ゆっくり寝たことで改めて家を出るということが大変なことだと気づいた、そして私の失踪は幕を下ろした…
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こうして家に戻ってきたわけだが数日の間は特にすることもなく家にいた。
スマホの電源でもいれてゲームでもしようかと思ったが着信履歴やメールを確認するのが怖くてできなかった。
なので失踪中も持ち歩いてたタブレットを使用することに。
最初にしたことは秋葉原の観光スポットを調べた。あの時行けたスポット、行けなかったスポットを調べて思い返す。
帰ってきてもなお秋葉原に未練があった。
元々は観光するつもりではなかったので仕方ないがこうするくらいならしっかり旅行の計画でも立てて普通に旅行した方が良かったのかもしれない。
だが思いきったことをしないと私は全然動かないため秋葉原に行けたのも失踪したからだろう。
さて、いつまでも秋葉原のことを考えているのもどうかと思い違うことに興味を示す。
今度はYouTubeで大手YouTuberの動画を観ることが多くなった。
私はYouTuberに憧れを持つようになった。自分の規格を自分でプロデュースして不特定多数の人達に動画を配信することが楽しそうだからだ。この時から私も自分から何かをしてみたいと考えだす。
とはいえ編集技術どころか動画を撮る機材も持っていない、なので別の形で自分を表現する方法を考えた。
…それがブログだった。こちらも知識はないものの撮影機材の準備は必要ない。
そして今度はブログについて調べることにした。
ブログで収益を!とも考えたたがやはりそう簡単なことではないようだ、失踪して就いていた職もなくなったので稼ぎになればと考えたが長く続けたとしても収益を得ることは難しいことはわかった。
だが、働く気力こそないものも何もしないでいる気にもなれないので収益のことを考える前にまずはブログを始めてみることからしよう!
2018/3/31
ブログを始める前に多少はブログについて調べはてなブログでブログを始めることにした。
始めるのはいいがスマホはそろそろ電源を入れなくてはならない。
タブレットだけでもブログを書くことは可能だろうがスマホがあるにこしたことはない、それに失踪してから友人に一度も連絡をとってないのが気がかりだ。
失踪中に私のスマホに友人が電話をかけたようだがその時は母が対応したらしいがそれ以降は電源を切っているのでかかってくるわけもなし。
流石に連絡はしないといけないと思って連絡を入れた。
友人は私が思っていた以上に心配をしていた…ここで私は他人が心配していることを全く考えてなかったことに気づく。
自分なんてどうでもいいと思っていたから私がいなくなっても構わないと思っていた、しかし私がいなくなることで心配になる人がいるのだ、家に戻ってきて少し日が経ったが事の重大さにようやく気付いた。
両親に心配かけたこともそうだが家族以外にも私を気にかけてくれる人がいる。
私は自分の軽率さを恥じ、同時に申し訳ない気持ちになった。
友人には感謝しないといけない。こんな当たり前のことを忘れていたことを教えてくれたのだから、そして遠くから私のことを心配してくれたことについては謝罪と共に感謝である。
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2018/4/1
電源も入れ、スマホから登録してブログを始めた。こうしてブログを始めたのだが書くことといえば…
自分が楽しいと思っていることを書いていこうと考えていたがますが失踪した時のことを書くことにした。
ただ心配かけただけに終った私の数日間、このまま風化させたいところだがあえてそれを記事にする、むしろそれを活かすことにした。
失踪したことを記事にすることで自分を変えたかった、いや前に進みたかったのだ!
自分を表現することが苦手だが自分の好きなことやりたいことをアピール出来る人間になりたい。
そう思ってブログを始めたのだ、だから失踪したことをアピールしていく。
失踪なんてするべきではなかったが得られたものがあった、それは私にも思いきった行動ができると気付けたことだ!
ブログを書くにはそういう思いも必要になるかもしれない。なので私はそれを忘れないようにブログ名を「三十路手前の失踪者」にした。
自分には何もないと思い詰めこのまま30歳まで過ごしていくのが嫌で失踪した私。
失踪することで何かを変えようとした時の気持ちを持ち続けたいからつけたブログ名。
こうして三十路を前に失踪した私は「三十路手前の失踪者」になることを決意したのだった!!
【三十路手前の失踪者 完】
あとがき
【三十路手前の失踪者】シリーズにお付き合いいただきありがとうございました。
失踪を経てブロガーになったわけですがブログを続けるのはそう簡単ではありませんでした…
ブログ開始当初は失踪時の体験談を早々に書き終えてその後は楽しい話題を書く気でいたのですが、思った以上に書けない!?
失踪時のことを振り返るとネガティブなことばかり考えてしまうので書く手が止まってしまいました。
なので私の好きな話題もやりつつ少しずつ体験談を書くことにしましたが…やはり暗い内容の記事を書き続けるのはしんどかったです。
それでも書き続けていましたが5月にそれまでの分を全て下書きに戻しました。
この頃からは私のブログのスタンスが「私の好きなことを他の人にも楽しんでもらう」になっていたので拙くて暗い内容の記事を公開しているのが嫌になり書き直しを決意。
落ち込んで暗くなっているシーンを出来るだけ減らして多少なりとも読みやすくなるようにしましたが…暗い内容が全て消えるわけでもないし私自身は当時のことを思い返して記事を書いているのでスローペース。
私が30歳になる7月までにはシリーズ完結させたかったのですがそれは断念しましたが、せめてブログ開始から1年以内には終わらせようと心掛けました。
6月からシリーズを再開して月に1~2話くらいの投稿でしたが10月くらいでシリーズ完結が見えてきたので年内完結を目標に。
そして最終話…秋葉原編は書くのはそこまで苦しくありませんでしたが沖縄に帰ってきてからの件は書くのが辛く、11月には今回の記事の下書きを始めたのにも関わらず今日までほぼ手付かず。
正直投げたしたかったのですがありがたいことにこのシリーズにもコメントを頂いたのでなんとしても完結させようと思いました。
おかげさまでなんとか完結まで至ることに、今日までの間に【三十路手前の失踪者】及び他の記事を読んでいただきありがとうございます。
まだまだ多くの方に心配かける身ですがこれからもブログを続け、皆様に楽しんでいただける記事を目指して参りますのでよろしければこれからも当ブログをよろしくお願いします。
それでは【三十路手前の失踪者】はここまでとなります、今まで本当にありがとうございました!!
三十路手前の失踪者 おそざき らいち (id:osozakiraichiblog)
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